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功罪シリーズN老人医療・老人福祉
あなたの老後は大丈夫か
二十一世紀を目の前にして、いよいよ日本は、本格的な 老い≠むかえようとしている。一人一人の老いはもちろんのこと、日本社会の老い≠ニいうことから目をそむけて通るわけにはいかない。なにしろ、全世界人新類、はじまって以来の超高齢社会が日本に上陸してくるのである。日本はかつて高齢社会を経験したことがない国である。明治以前は寿命といっても四十歳そこそこであり、明治、大正と四十歳台をやっと確保できているというありさまであった。大戦が終わり、ここから、日本の高度成長時代にあわせて、寿命も五十歳、六十歳、七十歳と上りはじめ、ついに八十歳に到達した。
戦後、急激に長寿の道を歩みはじめたわけではあるが、そのスピードも、他の先進国と比べてみると、異常ともいえる速さである。スウェーデンが高齢者六十五歳以上の人口比率が六%から一四%になるまでに百年かかっているのに対し、日本はそれを、たったの二十六年で成しとげようとしている。いまからでは、あとたったの十一年である。この速さもどの国でも経験したたことがなく、先進諸国も興味をもってこの日本がどのような高齢化社会を創りあげるかを見つめている。
―他の世代のことを思いやるゆとりのない社会が、現在進行している
戦後、急激にのびた経済成長、それ応じるかのように、人々の生活が豊かになった。医療の面でも、どんどん進歩をとげ、新生児・乳幼児の死亡率も急激に減り、一昔前なら死んでしまう病気も、今は死ななくなった。それが、今の日本の長寿社会を支えている。だが、その幸せなはずの長寿社会は、実は種々の問題をかかえこむ社会でもある。人口高齢化が社会におよぼすインパクトは、われわれの身のまわりで確実に顕在化している。
わが国はかつて人生五十年といわれ、そのライフスタイルで過ごしてきたのであるが、結婚年齢の上昇、出生児の減少、出産期間の短期化など、人生八十年時代は、老後期間の長期化を生じている。人生五十年と人生八十年では、その人の一生のライフサイクルに確実に変化をもたらしている。大正時代には結婚は二十歳前、子供の扶養期間も長く、子供の数は平均四〜五人、夫婦で過ごす期間もまた短い。しかし人生八十年時代は女性の高学歴に支えられ、シングルズ(結婚しない人々)もふえ、結婚生齢も上昇し、子供の数は一〜二人老後夫婦で過ごす期間もずっと長くなっている。これを従来のライフスタイルで解決するには、あまりに急激な変化についていけないのが現状である。昔は、年寄りは大切にされ、親に孝をつくすのがあたりまえという社会通念からの支援もあったが、現在の教育の中では個人主義が大まかな流れで、個人を優先し、個人の幸せを追求する。その中で人々は自分の幸せよりも老いた人々の幸せを優先するような社会を今後創りあげることが可能かという不安が残る。各世代間で、自分の生活を守るだけで手いっぱいで、他の世代のことを思いやるゆとりのない社会が、現在進行しているのではないだろうか。
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人口高齢化は、ライフサイクルの変化、ライフスタイルだけの変化だけではなく、実は労働力構造の変化ももたらしている。労働力のうち、十五〜二十九歳の若年層は量的な増加は見込めないが、五十五歳以上の高年齢者は量的にも増加の一方をたどっている。昭和五十年一五・一%、昭和六十年一八%と上昇しており、労働省の推計では昭和七十五年には二三%になると予想している。また二十〜五十四歳の女性の労働力が上昇しており、専業主婦を上回る女性雇用者の増加がある。
これは単に若年層の労働力低下、高年齢層の労働力増加という現象にとどまらない。若年層は高齢者のための各種の社会的負担を今までどおりの生産年齢人口で支えるとなると高齢者を一人支える人数(十五〜六十四歳) が昭和六十年には、六・六人であるのに対して、昭和七十五年には四人に一人、昭和九十六年には二・五人に一人を与えることになる。おまけに時間的な余裕も三十〜五十歳代のいわゆる成人期(中年期)に乏しく、高齢者に多い。
このダブルパンチが現役勤労世代に集まると、緑済的負担、時間的負担で勤労意欲の減退をひきおこす。現に、北欧あたりでは、この現実が大きな社会問題となり、若年層の職場離れや、薬物中毒、アルコール中毒の増加など、若年層の、一体何のために働いているのかわからない、といった不満や不平が多く聞かれるのである。一方、高齢者にとっては、時間的な余裕はあるけれど、何をしてくらすのかといった生きがい喪失をもたらし、無為に日を過ごすといった状況がおきている。これは、北欧では「世代間戦争」という言葉で表現されているのであるが、若者たちはお年寄りを社会的な負担とみなし、お年寄りはお年寄りで、自分たちは長年社会につくしてきたのだから、年金、医療、福祉の恩恵をうけるのがあたりまえといった気持ちとの大きなずれを象徴している言葉である。
―老人医療の現状と問題点
高齢化はまた、一番やっかいな、一番お金のかかる問題を内在している。先進諸国、高齢社会の先輩でもある三十七か国の国々すべてがどうすればよいだろうかと今も頭をかかえている問題である。
要介護老人の増加、それにともなう、医療費、福祉予算の増加、これは現在どの国でも解決しえないでいる。人が老いるということはあたりまえであるが、そのことが病気や寝たきり老人や痴呆の出現と関わりのない場合は素晴らしい。その社会は恵まれている。しかし日本は例外ではない。やはり他の国々と同じように、寝たきり、有病率の上昇、痴呆老人の出現率は年々ふえつづけている。
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もちろん、寝たきり、有病率、痴呆がふえるのは後期高齢者=七十五歳以上の人が多いことに由来している。日本の高齢社会のもう一つの大きな特徴は、後期高齢者の率が著しいことでもある。昭和六十年では総人口に占める割合は二・九%、昭和七十五年六・四%、昭和百年には一二・九%、四十年間で三倍、現実に寝たきり、痴呆老人の数が現在五十九・八万人、昭和七十五年には百万人をこすといわれる。社会的負担、医療費の上昇をまねくことは必然で、介護力の低下と両方から、一番対応をせまられる課題である。
日本の老人医療は現在、どこで行なっているかといえば病院、あるいは診療所のベッドの上でということが言える。その比率は年々ふえている。昭利五十九年では九・九%のものが、六十一年では二五・〇%にもなっている。
それが老人医療であるといえないところが現実にはある。医療、特に病院や診療所では治療が主であるにもかかわらず、その七割方は社会的入院といわれ、本当に治療目的というのは三割にすぎない。社会的入院とは治療は本来する必要はなく、合併症、あるいは有病であるけれど実際には家で、他の場所で療養してもさしつかえのないものである。しかし、家でめんどうをみるものがいない、あるいはめんどうをみる嫁、つれあいが仕事をもっている。娘はとついで遠くに離れているといった理由でひきとれない家族がどれほど多くいることか。面会にきても逃げるように立ちよる家族、退院はいつでもいいですよと言ったとたんに、くってかかる家族、本来は退院したい年寄りでさえ、その退院だといった翌日から、お腹がいたい、頭がいたいといって泣き出す始末である。これは、ただ単に家族が冷たい、本人のやる気とかだけの問はない。実際に帰る場所が本当にないのである。帰ったところで、体が不自由であったり自分一人では買い物、風呂にも入れないといった人々がいる。その人達を支えるシステムがこの日本にまだ出来ていないところに本当の問題があるのではないだろうか。
寝たきり老人あるいは障害者老人が、家庭にもどっても一人でもくらせる、あるいは家族のもとに帰っても、家族たけが背負うのではなく、みんなが社会の支援があるとなれば、これは日本の病院から社会的入院という言葉は死語となるであろう。また、もう一つの老人医療で問題となっているのは、生命倫理にもかかわることであるが、人々の死に対する意識が、もちろん、少しでも長く生きてほしいと思うのは誰しも人情であるが、では九十過ぎてたった二週間の延命、一か月の延命をはかるために毎日、毎日、何百万という医療費を使うことが、その本人、そしてその家族、大きくいえば社会全体の意味をなすかどうかということがある。現実にこの間題を取り上げて小さな討論会を開いたことがあるが、様々な対応であった。全体主義に通ずると手ひどくけなされたものから、私も同感だという意見やこれからの高齢者医療を考える時には、さけて通れない事柄であるとかいったものであった。
それでは、すでに早くから高齢者問題に取り組んだ欧州はというと、日本のように、ただ単なる延命効果をはからない。ICU(集中治療室)に入れて、体内から二十数本という管を通し、気管切開をし、点滴であるいは人工呼吸器でもって命をながらえさせることはしない。あきらめではない。老いをそのままに受けとめていると私は考えている。私はスウェーデンで長期慢性病院に勤務していて何度も、老人の死に立ち会っている。その時の死がいかにおだやかであったか、また現在勤務しているナーシングホームでのお年寄りがいかにおびえながら死を迎えているかみている。今後、高齢社会の医療の現実を見る時に、これは本当にさけてとおることのできない難問の一つであるといえる。それは、日本人の持つ死生感、生命倫理感、さまざまなものがそこにふくまれるであろう。こうしなければという答えを今は出すことができないが、今後日本が本当に高齢者をたくさんかかえこんでこのことに思いをいたす時にきっと答えがみつかるのではないかとそれだけはいえる気がする。
―「買える福祉」さえ、 まだこのありさまでは…
老人福祉は、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム等で、あるいは在宅で行なわれている。在宅六十五歳以上の寝たきり者は約二十二万八千人いるが、この人々の介護は、同居している子の配偶者三三・七%、配偶者二八・八%、子二四・九%という具合である。これがデンマーク、スウェーデンの北欧では、体が不自由になった場合は、民間の有料サービス三九・四%、公的サービス二九・九%、家族親族二〇・二%となっている。これに対し、日本は家族親族九四・八%、公的サービス一四・八%となっている。
北欧の家族意識は、日本のそれとは違うと言われてみればそれももちろんのことであるが、前述したように、核家族の進行化、介護力の低下などから、この状態がいつまでも続けられるとは限らない。そして言えることは、有料サービスにしても公的サービスにしても、あくまでその絶対数が少ないということである。特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホームの収容者人数すべてあわせても十八万人に満たない。おまけに日本は今まで高齢社会を経験していないから一体どれだけの設備を投入すれば本当に対応出来るかの目途がついていない。アメリカの高齢者人口が現在、日本とあまりかわらず日本より少し高めで一二%前後であるが、全病院病床数百三十万床とナーシングホーム二万施設百四十万床におよぶ。もちろん六十五歳以上の高齢者人口は日本の千三百七十七万に比較すると二千七百四十万倍の規模であるが、日本の病院ベッド数百四十万床と一応福祉施設の十八万床と比較しても日本はそれでも少ないといえる。アメリカでは、これにまだ民間のホームケアー代理店が契約を結んでおり、ホームケアーのサービスを受けることもできる。スウェーデンのような人口八百四十万、老年人口二十八万八千人の国でさえ、全病床数十一万五千八百五十九人、その他にナーシングホームやサービスハウス、在宅支援のためのヘルパーの数、住宅提供等、数えきれないほどの老人福祉が行なわれている。
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イギリス
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アメリカ
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日本
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スウェーデン
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| 老年人口 |
8,500千人
(14.9%)
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24,000千人
(10.7%)
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10,500千人
(9.1%)
(1980)
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1,300千人(16.2%)
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| 同居率 |
12%
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8%
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52%
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2%
(60歳以上)
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| 女性労働率 |
60%台
(51%〜61%) |
60%台
(65%〜67%) |
60%台
(50%〜67%) |
80%台
(86%〜88%) |
| ホームヘルパー数(人口10万人当り) |
129,724人(232人)
(1977) |
60,000人
(27人)
(1977) |
14,210人
(12人)
(1984) |
77,550人
(935人)
(1979) |
※ヘルパー数 ○外国は、国際ホームヘルパー協会調べ。○日本は厚生省老人福祉課調べによる。
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何しろ、日本はいまだ高齢社会を経験したことがないのであるから、これがどんなに大変であるかということが、やはりわかっていないのではないだろうか。何もしないで、今の病床数と施設数でやっていくとすれば、我々の前に一体どんな老後が待っているのであろうか。日本はアメリカ型の福祉は買うものという考え方にだんだんなってきているようだが、結果、買える福祉さえ、まだこのありさまでは、満足に世話も受けられない状況で、まだ病院に入っているのはましな方で、今後の医療費負担を考えると、その病院にさえいられない一般庶民はどこへ行こうかと手さぐりの状態である。
厚生省の方針、地方自治体(県・府)の考えは、いちおう在宅福祉に目を向けてはいるが、それはただスローガンだけに終わってはならないのである。口で在宅ケアー、在宅ケアーと言うのはたやすいけれど、では一体、誰がその在宅ケアーの守り手となるのか。ヘルパーの数を他の国々と比較していただきたい。それに対応する養成がなされているのか、在宅にまわせるだけの資金はあるのか、在宅の核になるような施設は造られているのかどうか、この辺になると本当にこころもとない。
―実践に移せるだけの内容をもたずして、人は動けない
日本の老人福祉推進の最大の欠点の一つは目標ばかり大きく、広く、そうありたいと願うものばかりで、実際の具体的な方法が出てこないことである。一つ例をあげると、ある地方自治体の高齢化対策大綱であるが「福祉、保健、医療サービスの充実」と題し、在宅サービスの充実、住みなれた場所で適切なサービスを受けられるようにする。そのためには、ホームヘルプサービス、デイサービス、ショートステイ等既存施策の質的充実と量的拡大を図るとともに、寝たきり老人等の介護者への援助を一層推進し、地域特性や実態にあわせた入浴サービス、給食サービス、一人暮らし老人等の緊急通報システムの整備、その他市町村独自の在宅福祉サービスの充実を促進する……とある。言葉の上では、多様なサービス内容の列挙であるが、では実際にどのような具体案があるかというと出てこない。どのレベルでどの人がどんなふうに行動をおこすと、在宅支援システムにつながるのか、既存の特別養護老人ホームが、何をすれば地域の在宅支援システムの一画となり得るのか、どことどこの施設と民間企業体、あるいは行政面でのつながり、ネットワークをすればその他城における在宅支援ネットワークになるかなど、実践に移せるだけの内容をもたずして、人は動けない。確かに模索をしている状態であることはいえる。しかしそれを実践に移して、試行錯誤をしていくなかで本来は、その姿が浮かびあがってくるのではないか。予算はかかるし、放っておけば、国民そのものの医療費はうなぎのぼりである。
これに年金を受ける率もどんどん増えていく。現在でも高齢者の年余支給率は六割に達しようとしている。確かに老後の経済状態を約束するには、年金の制度上一本化は必要なものである。本当にすべての人が平等に恩恵を受けとると考えるならば、さけてとおれない、私達のもつ課題である。それともう一つ、社会保障給付そのものが、急激に増えつつあるが、これが他の諸外国の、まさに今苦しんでいる現状なのである。
―北欧型か、それともアメリカ型の方法論をとるか
老後は豊かに幸せに。しかし、そのためにはどれだけのことをしているか、国民もその国もと言いたいところである。私はスウェーデンに滞在し、実際に医療介護施設に働いていたが、日本の老人の姿と比較すると、やはり雲泥の差と言わねばならない。それは、お金があるなしにかかわらない平等の医療福祉介護を受けているということにある。だがここで大きな相違に気づくのは、国民の税金の負担率である。
スウェーデンにいたっては平均の租税率四九・一、社会保障負担は一九・九、合計六九%である、それと日本と比べてもらいたい。なんだかんだと言っても、相互扶助の考え方からは遠い。みんなが福祉に医療に年金にかかる社会保障費を他の高齢先進国並に支払っているとは言い難い。日本がもちろん、他の諸国のようにいまだ高齢社会には突入していないのであるから、この比較はあてにならないとしても、老人人口が増加すればするほどこれが自然に増えるのは必然である。しかし、もしこれが、国民一人一人が北欧なみの保障を受けたいと願うのなら負担を背負う覚悟をしていただきたいし、また北欧のように財政圧迫に泣くようなまねもしたくなければ、そして税金もこれ以上は払いたくないというのなら、自分の老後を自分で創ることに精出すより他はない。
アメリカ型では、民間のナーシングホームや、老人ホームが花ざかりであるし、社会への負担も北欧あたりに比べると少ない。それでも、徐々に医療費は増える一方で医療費削減にいろいろな試みをしている。反面、保険に入りたくても入れない低所得者は国中で三千万人いると言われ、これはあまり日本の官公庁の雑誌等には載らないけれど、平等のヘルスケアーというものから遠のいている。
| ■社会保障給付費、租税・社会保障負担等の国際比較
(単位%) |
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国名
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社会保障給付費の対国民所得費1983年 |
老年人口比率(65歳以上人口比率)1983年 |
年金成熟度(老齢年金受給者の加入者に対する割合)
1983年 |
租税・社会保障の給付費の対国民所得費1983年 |
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租税負担
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社会保障負担
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計
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日本
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14.0
|
9.8
|
18.2
|
23.7
|
10.2
|
33.9
|
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1984年
|
14.0
|
9.9
|
19.3
|
24.3
|
10.3
|
34.6
|
|
アメリカ
|
17.9
|
11.7
|
18.0
(1982)
|
26.6
|
10.0
|
36.6
|
|
イギリス
|
25.8
|
14.9
|
20.6
(1981)
|
41.9
|
11.4
|
53.3
|
|
西ドイツ
|
31.0
|
14.9
|
28.0
(1982)
|
31.0
|
22.7
|
53.7
|
|
フランス
|
33.3
(1980)
|
13.2
|
38.7
(1981)
|
33.5
|
28.7
|
62.2
|
|
スウェーデン
|
43.3
|
16.9
|
32.1
(1982)
|
49.1
|
19.9
|
69.0
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厚生省政策課調べ
出典:昭和61年(1986)版『厚生白書』 |
どちらの方法論をとるか、幸いにして日本は、国民皆保険制度で、救済措置もとれる仕組みになっているので、いつでも、どこでも、誰でも病院、診療所にはかかれる。だが、このままでは医療費の莫大な社会圧迫がくるというのでさわいでいる。それをどう本当に解決していくのか、私たちの問題ではないと知らん顔をしているわけにはいかない。老いはみんなのところに確実にやってくる。次代にバトンタッチもしないといけない今の年寄りさえ幸せであれば、あとに続く年寄りはどうでも良いという考えは、自己本位と言われても仕方ない。今や日本は経済大国である。スウェーデンもかつて非常な経済国であった。それを、官民一致で豊かな老後、幸せな老後にとりっぱな収容施設をたくさん造った。ただし、それをほとんどすべて国がなした。私たちはどの道を選択するであろうか、少しぐらいの社会的負担をして、もう少しましな在宅施設、介護施設、中間施設、老人病院を造るのももちろんのことだが、民間企業体の応援も得て、北欧なみの税は払わないけれど、自分で払っていく老後も考えてもよい。何よりもいきすぎ、やりすぎはいけないと、他の高齢先進国は教えてくれているのかもしれない。だが、これだけはどうしても国がやらないとどうしようもないという項目を挙げておく。
(1) 税制の政市、公平な税制の改革
(2) 年金制度の一本化(経済的基盤を作るため)
(3) 高齢者における、医療福祉制度の一本化
(4) 社会サービス法の確立
(5) 医療保険制度の改正
もう一つ付け加えるならば、教育制度のカリキュラム改正、老人に対する若者たちの意識変革と、生涯教育システムの確立を挙げたいところである。 そして私たち個人は、できるだけ健康で、寝たきりや痴呆にならない創意工夫をずっと若い三十代、四十代のころから準備をする、健康づくり、カルシウム摂取、これらは割と簡単にトライできることでもある。これからの高齢社会に向けて是非ともやってみないといきいきライフはおくれない。
たしかに、医療と福祉には現実にお金がかかる。しかしそれはこの日本が名実ともに、豊かな日本、住みやすい日本であることのバロメーターにもなる。高齢者の住みやすい国は、誰にとっても住みやすい。人の一生で最後の段階がみじめであれば、その人の一生すべてがみじめになる。中には、若い時代の栄光のみを追いかけている人もいるにはいるが、それは今を生きていることにつながらない。老年期は、その人の生き方一生が問われる時でもある。一人一人本当に素晴らしい、豊かで満足のいく老後をおくりたいものである。
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