これからの在宅介護を考える
〜海外の痴呆性老人のケア・グループホームについて〜
1 日本の高齢社会について
1970年に日本は高齢化率7%の高齢化社会となり、それからわずか24年の今年、高齢化率14%の高齢社会を迎えた。しかし、国民一人一人の意識は、諸外国に例をみないこの高齢化のスピードについていけておらず、高齢社会に適応していない。また福祉に対する考え方も随分遅れている。日本では貧困救護の意識が強いので、個人や家族で抱え込んでしまって、苦しんでいるというのが現状であるが、北欧諸国で福祉は、障害者や高齢者・貧しい人のためのものではなく、すべての人が生まれてから死ぬまでの年月を人間らしく生きていくためのサービスと促えている。人生は、いつどこで何が起こるか判らない。その時に、人間として当たり前な生活ができるかどうかを考えることが、福祉の起点となる。
さらに意識だけでなく、日本はまだ、実質的には高齢社会への準備ができていないといえる。北欧では、グループホームに年間20億クローネ(400億円)の予算を91年〜95年までつけており、現在までに7,000ヶ所つくっているが、グループホームが痴呆にとって一番有効な方法論であることから、なおかつこれを継続しようとしている。
日本の高齢社会は、@意識が高齢社会に適応していない。A基礎段階の準備ができていない。B社会構造(財政・年金)が未成熟―長い老後のための生涯学習システムもできていない。これら3点の大きな問題を内蔵しながら、進めていかねばならない。
2 スウェーデンの高齢者の保護・福祉ケアについて
スウェーデンは人口850万、市にあたるコミューン(284)が福祉を担当している。
スウェーデンの社会福祉は、1960年代に爆発的に進み、70年代には老人ホーム等の施設整備が進んでどんどん入所をしたが、入所者の意欲の低下から施設入所への見直しがなされた。そして1982年に「社会サ−ビス法」が成立して劇的に変化したが、これは高齢者のためだけのものではなく、0歳から死ぬまでのすべての人に対する24時間のサービス法である。
〔社会サービス法の基本的原理〕
@ 正常化の原理―ノーマライゼーション
A 総合的な人間観の確立―人間はトータルなものであるという考え方
B 自己決定の原理―自己確立された人間であるべき
C 参加の原理―何かを決定する時には、受益者がすべて参加して決定する
D 活動する原理―すべての人が生きがいをもつ権利
北欧諸国は社会保障の充実度が日本と大きく違う。弱者にだけやさしいのではなく人間にやさしいシステムなのである。このようなシステムの裏付けがあって、命の質をどう考えるか、ケアの質をどう考えるか―そこからより人間的なケアの仕方であるグループホームが生まれてきたのである。
グループホームの設立は、1970年代の後半からモデル的にスタートした。1982年にアパート形式のもの、1985年に本格的な一軒家のグループホームが開始された。スウェーデンでは、それ以前から24時間の在宅ケアを進めており、月曜から金曜までのデイケアやホームヘルプサービスも充実している。ヘルパー数は日本の70倍、9万人人口で1,700人のホームヘルプに関わるスタッフがいる。それにプラスしてグループホームがある。グループホームは、6〜8人までの中・重度痴呆性老人を12人の看護婦・ヘルパーでみていくシステムで、コミューンの70%はホームをもっており、今後さらに増設の予定である。それは、痴呆性老人にとって、症状の進行を抑制する一番適した対応だからである。そして、すべての介護型老人ホームや長期療養型病院もこの家族指向型の方法論をとっている。
一方家族がお年寄りをみる場合、コミューンが家族に手当て(通常のヘルパーと同じ給与)を支給し、有給の介護休暇もある。つまりコミューンが、家族を雇用していることと同じで、これがいわゆる「介護の社会化」である。
3 これからの在宅介護について
日本は家族神話が強いが、2025年には家族体系は劇的に変わり、痴呆の発現率が高くなる後期高齢者が現在の2倍以上になるため、今後は出生率の低下もあって、高齢社会を支えきれなくなるのは必至である。軽度であろうと、重度であろうと、痴呆は家族だけでみていくのは困難で「介護の社会化」は不可欠である。ここ10年間で介護や福祉に対する認識は変わらざるを得なくなるであろう。従って、日本はこの基本的な意識変革なくして「共に生き、共に支えあう高齢社会」の実現はあり得ない。
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